児童青少年向け演劇において子どもたちの反応は、容赦ないものです。その舞台がおもしろければ、目を輝かせながら観てくれますが、つまらなかったら早く終わらないかなという顔をするし、おしゃべりもはじまります。
そして、正直であり、ごまかしがきかない。例えば、泣くシーン。そこに真実やリアリティがなければ「あっ、うそ泣きしている!」と声を上げます。
多少不自然なところがあっても大人は「これは芝居だから」と見過ごしてくれますが、子どもたちにはそれは通用しません。
「子どもたちに観せるのだから、これくらいでいいだろう」というのはないのです。登場人物を創造するのに大人用も子ども用もありません。もちろん台本では、わかりやすさを考慮して創作しますが、芝居の本質、演じる我々の緊張感や意気込みは何一つ変わりません。これは、45年前に『芸優座』を立ち上げたときから一貫しています。
舞台芸術にはエンターテインメントの要素も欠かせません。芝居だけでなく、舞台上にある大道具、小道具、役者の衣装、そして照明や音効など舞台装置にもこだわるのはそのためです。 幕が上がった瞬間に、時間や空間を飛び越えた世界がそこにある。子どもたちも大人たちも、はっと息を呑むような世界がそこには広がっていなければならないのです。
その作品で何を訴えたいのか?テーマやコンセプトはもちろん大切ですが、まずはその作品の世界観を楽しんでほしいと思います。黒幕をバックに象徴的な小道具を置いただけでも芝居は成立するし、作品のテーマを伝えることはできるでしょう。でも私は、それでは物足りない、やっていておもしろくない、と考えます。
舞台に広がる圧倒的な世界観と、時代背景にリアリティをもたせる大道具や小道具、そして衣装があってこそ、真の舞台芸術ではないでしょうか。
舞台に立っている役者たちだけでは、芝居は完成しません。
観客のみなさんから伝わってくる歓び、悲しみなどの反応があってこそ、その作品は命を宿すのです。私たちは舞台にいながら、みなさんと感情のキャッチボールをしています。役者とみなさんとで一つの空間と時間を創造しています。
それこそが生の舞台の醍醐味であり、テレビや映画などの映像表現との違いでもあります。同じ空間、同じ時間を役者と観客が共有することで生まれる感動は、生の舞台ならではのものです。
私たちは同じ作品を違う場所で、違う観客のみなさんの前で何度も演じます。しかしながら同じ芝居は一つとしてありません。同じ公演は一つとしてありません。
観客のみなさんとつくる一瞬、一瞬が私たちにとっても貴重な体験であり、かけがえのない宝物なのです。
これからも演劇の楽しさ素晴らしさと同時に、生きることの尊さ、大切さを伝えると共に、中学1年生までの戦時体験者として「戦争反対」を唱えることを忘れずに精進して参ります。