若者の「活字離れ」は言われて久しいものですが、我々大人も、どうせ読まないから、どうせわからないからと、彼らが名作や古典に触れるチャンスを増やす努力をしてこなかったのではないかと、今や後悔すら覚えます。しかも、せめて教科書ではなんとか読まれていた文豪たちの作品も徐々に消え、「名前しか知らない」から「名前も知らない」存在になりつつあります。そのような中で、芸優座は、あえて「いわゆる名作」を選び、舞台化してまいります。
今回は「家族の絆」をテーマに三作品を選びました。家族のありようは時代と共に急速に変貌し、ことにバブル期以降のそれは激しく、誰にも予想できないものでした。親と子、兄弟姉妹、その間に確かにあって疑うことのなかった絆すら、今や、ことあるごとに確かめ合わなくてはならないようです。
この度、改めてこの三作品を紐解くと、そこには、私達が見失いかけた家族の姿、家庭の情景がありました。懐かしいと同時に、あたかも見知らぬ国の物語を見るような新鮮さもありました。しかし、そこに流れる肉親の情愛の深さ、やるせない程の激しさ、かけがえのなさ、何よりそれが理屈抜きであることに変わりようがない、いや、変わってよいはずがない。そして、その真実と共に、それを描いた美しい作品をきちんと次の世代へ伝えることを怠ってはならない、そのような思いで制作いたしました。
「息子」
徳川末期の江戸の入り口・・・火の番の老爺が、番小屋の土間で焚き火をしていると、上方から流れてきたという若者がふらりと入って来る。堅気の町人を装ってはいるがまともには見えない。しかし老爺は、空腹の彼に温かいお茶や弁当を与え、上方の様子を根掘り葉掘り聞く。実は上方へ奉公にやった同じ年頃の息子がいるのだ。若者はやがて、その火の番が自分の父親だと悟るが、頑なに息子の立身出世を信じる父親と身を持ち壊して名乗れぬ息子・・・そこへ目明しの文吉が、十手をちらつかせながら現れる。お尋ね者の金次郎を張っていたのだ・・・
「父帰る」
二十年前、父親の宗太郎は不義理な借金を拵え、情婦を連れて出奔していた。後に残された母親・おたかは三人の子供を抱え、一家心中を図る程の修羅場をかいくぐり、今は成長した息子二人の稼ぎで、やっと慎ましくも平穏で満ち足りた日々を送っていた。長男の賢一郎は八歳の時から苦学して一家を支え、弟・新二郎の高等文官への希望も、妹・おたねの嫁入りの支度も、もうすぐ整えてやれる幸せをかみしめていた。そんなある日、家近くで父・宗太郎らしい、落魄れた老人を見たという噂がたった・・・
「あにいもうと」
多摩川の護岸工事を請け負う赤座には長男・伊之の下に娘が二人いて、姉はもんといい、妹はさんといった。もんは奉公先で身ごもり、相手の男が国へ帰ってしまうと、ぐれ出したあげく仕方なく家に帰ってきた。毎日だるそうに寝てばかりいるもんに、兄の伊之は暇さえあれば辛く当たる。赤ん坊の頃から一緒に寝てやり、おんぶして育ててやった可愛い妹が、堕落したのを見ていられなかったのだ。
やっと一年もたった頃、もんの男・小畑が訪ねてきたことで一家に一悶着おきる・・・
<作品情報>
「息子」作:小山内 薫
「父帰る」作:菊池 寛
「あにいもうと」原作:室生犀星
・脚本:平塚仁郎
・演出/村田里絵
・上演時間/約110分
(「息子」30分、「父帰る」25分、「あにいもうと」55分 )
・対象/高校生・一般